最近良く相続が争いになってしまうことを揶揄して「争族」などと言われたりします。
それまでとても仲の良かった家族が親の財産をめぐって争いになり、その後も疎遠になってしまうのはとても残念な事です。
私も、普段、遺言書を作成したり、遺産分割協議書を作成したり、不動産の相続対策のご相談を受けたり、家族が遺産をめぐってトラブルにならない為のお手伝いをしています。
そんな中で、「心」の在りかたというものが非常に重要な要素ではないかと思いましたので少し、書き留めておきたいと思います。
例えば、自分の親が亡くなって、あなたは親の財産の中から2000万円相続したと想像して下さい。これまで親から受けた愛情や、その財産を築くまでの親の苦労に思いを致すとき心の底から親に対する感謝の気持ちがわき上がって来ることでしょう。
では、その後に、「他の兄弟は3000万円相続しました」と聞いたとします。するとどうでしょう?何か気持ちに変化が出ましたでしょうか?おそらく、ほとんどの人はこのような情報が耳に入ると、一転、親に対する心からの「感謝」から自分より多く相続した他の兄弟に対する「不満」の気持ちに変わるのではないでしょうか?
おかしいですね?相続した遺産の額は同じ2000万円です。なのに、何故「感謝」の気持ちだったり「不満」の気持ちだったりするのでしょうか?最初に親に対する感謝の気持ちを感じた時は、単純に2000万円を相続したという出来事だけをとらえて自分の「心」と向き合い、親から受けた愛情や、それまでの親の苦労に思いを致して、感謝の気持ちがわき上がって来ました。
しかし、その後、他の兄弟が3000万円相続したという情報が耳に入った途端に、2000万円で喜んで感謝していた自分が何か馬鹿みたいに思えたかも知れません。
あるいは、何故、他の兄弟は自分よりも多く相続したのかが納得行かない、親の晩年の介護などを考えると、自分の方がむしろ多く相続してしかるべきだ・・・等々
本来、何もないところから親の財産を2000万円も相続したのですから、感謝以外の何ものでもないはずですが、悲しいかな、人間は他者との「比較」によって心に大きな影響を受ける生き物なのです。
例えば、このケースで「他の兄弟は3000万円であなたは2000万円」のときと「他の兄弟は1000万円であなたは2000万円」ではどうでしょうか?あなたが相続した財産は同じ2000万円です。しかし、このときのあなたの気持ちは同じではないでしょう。
「仲良き事は美しきかな」子供の頃我家にあった湯飲みに筆書きの野菜の絵とともに描かれていた言葉です。作家の武者小路実篤が晩年好んで色紙などに揮毫した言葉だそうです。
当の本人は元々、トルストイなどの思想に共感して日露戦争の頃などは反戦主義だったそうですが50歳を過ぎて欧州を訪れた際に受けた黄色人種にたいする差別に端を発し、その後の第2次大戦では戦争礼賛の立場に転じます。
そして、戦後、晩年に好んで揮毫したのが件の「仲良き事は・・」です。何か様々な紆余曲折を経て最後はそこにたどり着いたのでしょうか?それを想うと少し複雑な気持ちになりますね。
でも、家族が争うことなく仲良くある事、これが素晴らしい事であるということは間違いない事実です。「比較」に目を向けすぎて、「感謝」を忘れてしまう「心」、相続に限らず、日頃から気を付けたいものです。